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起業家コラム

日本人は真面目!?

はじめに

江戸時代の経験と近代日本の経済成長を労働力の視点から見ていきましょう。

1.経済成長(生産量の伸び)の条件

 経済成長は実質GDPを見ることが大事である。生産量が2倍になったら売上も2倍になるのは当たり前なので名目GDPでは測ることができない。だがまずはGDPを出す。GDPは資本(K)と労働(L)の投入結果の生産量(P)であり、一般化すると生産関数P=F(K,L)となる。そもそも資本(K)とは何なのか説明しておく。一般的に資本=お金と思われているが間違いである。
 
ただ単にお金が資本なのではなく、新たなお金が生み出されるときはじめて資本となる。ただし、技術の違いで生産量は変わる。同じ資本・労働投入量でも技術進歩があればより大きな生産量を生むことができる。また資本の品質でも変わってくる。

例えば、そろばん→電卓→コンピュータのように同じ計算機器だが品質の違いで、はるかに計算速度がはやくなり、生産量が増加する。労働力の品質の違いもまた然りである。作業の熟練や作業の態度などが品質の違いである。ここでは江戸時代の経験からMoral Hazardが問題となる。Moral Hazardとポテンシャルはあるがやる気がない状況をさす。

2.江戸時代の社会変化

 日本では17世紀に大開墾が行われ、風景が大きく変わった。そのため実収が増加し、人口爆発が起こった。1600年の耕地面積は2065千町、人口は1200万人だったのに対し、1700年にはそれぞれ2841千町、2769万人になった。耕地面積はおよそ1.4倍、人口は2.3倍となった。しかし1666年に山川掟が出され、開墾が停止した。

この山川掟は過剰な開発防止のための法令であり、最初の環境保護法であった。川の上流まで開墾していき、草木を除去していってしまったり、肥料をつくる入会地まで開墾していってしまっていたのが法令の出された要因である。(草木は雨がそのまま川に流れて行ってしまい水があふれるのを防ぐ役割があるため除去してしまうのは大きな問題だった。)開墾を禁止されてしまったため、土地はもう広げられないが人口は増える一方のため、当時の農民は、土地の生産性(反収)をあげることを試みた。

そのために農法が変化した。今までは自給肥料であったが金肥(魚肥や干鰯など)を使うようになった。金肥の使用は生産性をあげることにはなったが、毎年使い続けると土地が硬化してしまう。そのため深く耕す必要がでてきた。今までは牛馬を使っての耕作だったが、これだと浅くしか耕せないため人による耕作となった。道具も犂から鋤や備中鍬に変化した。

これは家畜数の明確な減少からみることができる。また金肥は作物の成長を助けると同時に雑草までもの成長を助けてしまう。そのため、除草作業の大幅な負担が増えてしまった。以上のように労働の大量投入を要する農法を選択するようになった。ここから働くことをいとわない農民が誕生した。昔から勤勉だったわけではない。考えてみれば、牛馬を使って耕作していたのだから、なるべく楽をしたいという考えが見て取れて当然かもしれない。

3.速水融の勤勉革命(Industrious Revolution):経済発展の2つの道

 この耕作の変化により、等量曲線は右にシフトしている。(産出量は上昇している。)投入する資本量が労働量より多い場合を産業革命(Industrial Revolution)というのに対し、逆に、投入する労働量が資本量より多い場合を勤勉革命(Industrious Revolution)と呼んだ。

この勤勉革命と言い出したのが速水融先生である。また、速水先生は『近世日本の経済社会』で「すでに達成された経済社会化の条件のもとに「勤勉革命」を得た日本が保持する、特定の性格をもった労働力を国内で利用しうるほとんど唯一の資源とする」という。

4.明治期の工場労働者:「勤勉」な労働力についての観察事例

 では、江戸時代にうまれた日本人の勤勉性は明治期の工業化でも生きているのだろうか。観察事例をみてみると、勤勉と呼べるような働き方をしている人は少ない。「日本の常用工はとにかく監督の目を盗んで怠けるものが多い。」「腕があるから多少怠けてもいいだろという考え方をもっている。」「いい加減に仕事し、しっかり休憩して、休憩が終わっても戻ってこない。」「給料日の次の日はこない。」といったように勤勉な労働力とほど遠い実態であった。

5.江戸の遺産(勤勉な労働力)の連続と断絶

 観察事例をみると勤勉革命じだい嘘のように思われる。しかし、すべてを否定してしまうのは言い過ぎである。これは「勤勉」という言葉の曖昧がうんだズレである。農作業は天候や生育状況などといった条件である程度自分で労働計画を立てることができる。

一方工場労働では共同作業や他律的な労働が求められる。農業と工業での求められる労働の性質が違ったのである。2つは断絶していた。ただ、労働を厭わないという勤勉の伝統があるのでそこは連続しているため、工業化初期は厳格な労働管理を行い、工場で求められる労働者に育てた。

6.まとめ

 規律を守り勤勉に働くのが国民性だというのは間違った認識だということを理解してもらえただろうか。以上の社会の変化にともない働き方も変わったということである。決して国民性で経済成長してきたわけではない。

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